11/6(土)子どもの頃にみた舞台③

faust.jpg
↑ソクーロフ版のビジュアル。さすがのセンスでした。
せっかくなので、もう一本の印象に残った劇。
うりんこの『ファウスト』についても話したいと思います。
こちらの方は、確か、名古屋市民会館で観たと記憶しています。
4年生くらいだったろうか。
老いたファウスト博士が書斎にいる場面から始まり、
犬に化けたメフィストフェレスがやってきます。
そして、例の契約を交わす。
若返ったファウストは旅をし、
ヒロインであるグレートヒェンと出会うわけですが、
よく覚えているのはお城を訪ねるシーン、
さらに、大宴会のシーン。
そもそも、この舞台は装置なし。
すべて人力で演じられていた、登場人物たちだけでなく、
お城の門や、宴会の場面で使われる胡椒なんかも、
俳優たちによって表現されていました。それが印象深い。
俳優たちが手を繋いで壁になったり、そのうちの何人かが動いて、
門がオープンしたことを示す。胡椒を演じる人が腰を動かすと、
カリカリという効果音が鳴って、ミル付きの胡椒の容器となる。
あとは最終場面。
ファウストが期限の終わりを告げられる場面。
メフィストとの間に交わされた20年契約は、
半分の10年で満了時期がやってきます。
理由はメフィストが、昼も夜も働いたから。
これに、小学生時代の私はまったく納得がいきませんでした。
あと10年あると信じていたところで、いきなり約束の終わりを告げられる、
そのことを怖ろしく感じました。
『マクベス』の「女の腹から生まれた〜」理論と
『ファウスト』の「昼夜を通して働き続けたから」と云う理屈は、
私がいまだに、ぜんぜん納得がいっていないものの代表です。
ちなみに、この間まで取り組んでいた『唐版 風の又三郎』の
ヒロイン「エリカ」も似たようなせりふを言います。
一幕の半ば。それはこんな感じ。

「僕は男と女を使い分けるから、時間を二倍の速度で駈けぬけられる。

だから、君の三年は僕にとって一年半。」

『ファウスト』の影響かと思っていたら、これは『不思議の国のアリス』の
引用でした。『さすらいのジェニー』もそうですが、矢川澄子から、
唐さんは色々なことを教わった。
マルセさんと『ファウスト』。
二つの舞台には共通点があって、それらが徹底して、
セット無しの人力による表現だったことです。
これは、もし子ども向けの舞台をつくるとしたら、
自分が踏襲したい大きな要素です。
最後に。『ファウスト』好きになった私は、
それから原作を読み、多くの関連作品を観ました。
中でも面白かったのは、アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画です
あの映画の最終場面。
容貌怪異のメフィストに終わりを告げられたファウストは怒り、
この悪魔をボコボコにして去ります。あれは痛快でした。
しかし、一度だけの裏技と云えますね。

コメントを残す