3/11(水)『ビニールの城』本読みWS 第5回 その②
昨日のつづきです。その後、2幕に進みました。
冒頭でさり気なくふれられることとして、1幕終わり、「朝顔」は黙って去った
そうです。あれだけの告白を「モモ」にされて、しかも、捨てられる「夕一」も
いて、憤る「夕一の」叔父さん「引田」もいて、それでも、「朝顔」がしたことと
いえば、黙って去るという消極性の局地。さすが、究極のコミュニケーション
不全、自分への引き篭もり、キャラクターがたっています。
結果、2幕に至ると「モモ」は姿を消し、「夕一」は「モモ」思い出を引きずり
ながら、「朝顔」を追いかけまわしています。「夕一」は低姿勢の極みで
「朝顔」に近づき、いずれ「朝顔」に接近してくる「モモ」との再会を狙っている
ようでもあります。
そうして始まる二人の会話がおもしろい。私的には、この場面は全編を
通じてもっとも読みがいのある白眉といえます。
引っ込み思案な男とひねこびた男が絡み合い、「夕一」のマゾヒズムが
炸裂します。どちらがより下手に出るか、という競い合いです。
そのなかに、ふたりの本当の欲望がかいま見える瞬間がたびたび
訪れ、このシーンのスパイスとなっています。
「夕一」はやはり、「モモ」を奪い返して独り占めしたいのです。
「朝顔」にも、やはり「モモ」と、他人と、ナマの女性と結ばれたいという
欲望がくすぶっています。
このシーンには、「ナマは嫌い」という「朝顔」を象徴する言葉も
飛び出し、「モモ」を「ビニール」が覆っているように、「朝顔」には
人形「夕ちゃん」がいて、世界とのナマの接触を避ける盾としての
機能を果たしていることがわかってきます。
近くても、遠さがある。遠さがないと、近すぎて安心できない。
こういう、現代人らしい志向がクッキリと浮かび上がって、
『ビニールの城』を通じて唐さんが描いた人間関係の現代性が
露わになりました。2幕冒頭、充実しています。
↓作務衣、着ています

